![]() |
![]() |
||||||||
![]() |
![]() |
![]() |
|||||||
創業50周年記念特別企画
【リレー対談 】矢野泰三の真っ向勝負!
|夜昼となく兄と働いた創業時
矢野 創業五十周年、本当におめでとうございます。
宮本 ありがとうございます。
矢野 しかし、五十年もよく立派にやってこられましたですね?
宮本 過ぎてみれば、あっという間でした。
矢野 五十年前と言いますと、御社の本社がある英賀保地区にはまだそれほど人家もなく、閑散としていたように記憶しているんですが?
宮本 田んぼや畑、レンコン畑なんかが広がっていました。
矢野 そうした英賀保で、どうしてこの仕事を?そもそものきっかけはといいますと?
宮本 私がちょうど二十歳の頃、しばらく長崎にいる兄の仕事を手伝って帰ってきたんですが、何もすることがない。当時ダンプトラックなんかなかった時代で、たまたま友人が土砂車というやつを持って仕事をしていましたから、みんながやっているんなら、「よし俺も挑戦してやろう」と、三方開きを買ってやり始めたんです。
矢野 それがここまで大きくなるとは、当時お考えでしたか?
宮本 いいえ、大きくなるとかどうかじゃなくて、当時は仕事も少なかったので、「何とか一つ、この仕事でやってみよう。皆がやっているんだから、自分もやればできるだろう。」と、それぐらいの気持ちでした。
矢野 計画も何も、とにかく気持ちだけで行ってみようというところですか?
宮本 なにしろ初めてやることですから、計画とか目標とかいったものもありませんでした。
矢野 いろいろと大変なこともおありだったでしょうが、会長としては先代会長と二人三脚でやってこられた時代が一番懐かしく思い出されるのではないでしょうか?
宮本 その頃が一番懐かしいです。私が仕事を始めて一年ほどして兄が帰ってきました。「それなら二人で頑張ってみようか。」ということで、どちらかというと私は何をやっても人に負けるのが嫌な性分ですから、当時は昼夜関係なく働きました。仕事さえあれば徹夜も残業も厭わなかった。それこそ「雨が降ろうが槍が降ろうがやる。」という一心でした。|ゼネコンに認められたことが・・・
矢野 御社のお仕事というのは人の目につかない部分が多いわけで、私なんかも何気なくゴルフ場に行ったり、高速道路に乗ったり、空港から飛行機を利用したりしているんですが、工事現場の古い写真を拝見して、そういうものの上台を実は皆さん方が造ってこられたんだということに改めて気づきました。いささか反省しているところなんです。
宮本 今は道路公団の工事も大手建設業者とJVで施工させて戴いておりますが、仕事の多くはゼネコンの下請けの工事が多いです。当社はもともと重機車輛を駆使した工事が得意で、道路工事、ゴルフ場の造成工事、宅地造成工事、ダム工事、トンネルエ事、空港関係工事が多いんです。
矢野 そうした経歴を見ても、御社はまさに日本の時代と共に歩いてこられたわけで、その「時代を先取りする」あるいは「時代を読む」といったあたりに正直びっくりします。
宮本 長年やっておりますと、動物的勘とでもいうべきものも培われますし、将来を見据えて計画を立て、日本経済の状況や建設業界の動向とかも常に考えてやってきました。それで、ちょうど波にも乗れて、ここまで来れたんじゃないかなという気がします。
矢野 ずいぷんと謙遜されているようなんですが(笑)、会長のお話を伺っていますと、確固たる信念や経営のやり方に加え、非常に柔軟なものの見方を身に付けていらっしゃるという気がするんですが・・・。
宮本 私がここまでやってこられたのは、友人に大変恵まれたことと、ゼネコン各社に信頼を得られ皆さんのお引き立てがあったからこそ現在の発展に繋がっているのではないでしょうか。大手建設業者に「あいつに任せておけば間違いなかろう」と信用された。それが良かったんじゃないですかね。
矢野 信頼を得る。というのは言葉では非常に筒単なんですが、実際に宮本組はどういう風にして皆さんに信頼を植え付けていかれたのでしょうか?
宮本 これはもう、施工面にしろ安全面にしろ、誠心誠意、真心を込めて尽くしてきたということしかないです。当社が手がけた仕事にクレームが付いてはいけないと、全力をあげてきました。まず誉めていただきたい。「ようやったな」という言葉を頂戴したい。という気持ちが常にありました。
矢野 そういった会長の精神が、歳月の流れを超えて今日もなお宮本組の中に生きているということなんでしょうねえ。
宮本 そうだと思います。それとまず、社員の皆が何はともあれ私という人間を信じて付いてきてくれた。そして心が一つになったということだと思います。人間というものは心が通じ合わないと、いい仕事はできないと思います。それと先ほども申しましたように、スーパーゼネコン、ゼネコンの皆さんに気心を分かっていただけたということが私にとって幸せだったと思います。
矢野 まあ、そういう風に会長は仕事一筋でやってこられた一方ご家庭では、お子様も各方面で活躍されているわけですが、何か子育ての秘訣みたいなものがおありなんでしょうか?
宮本 私はただ父親として黙々と働いて、まあ着るものと食べるものだけはあてがってきただけで(笑)、子供を育ててくれたのは社会の皆さんだと思います。皆さんに教えられ、導かれて、それぞれに大きくなってきたなぁと思います。自分の子供であるから「何もかもできる、教育もでき子育てもできる。」ということじゃないと思います。私が家で教えたのは三つだけで、まず一つは「人間は正直であれ。」二つめは、「人を騙すな、騙されるな。」そして「体は自分で鍛えておけ。」この三つだけなんです(笑)。|これからも無事故で立派な仕事を
矢野 家庭でもそういう信念を持ってやってこられ、会社もまたいろんな荒波も乗り切って五十周年を迎えられたわけですが、この大きな節目にあたって社員の皆さんに望まれることは?
宮本 確かにいろんな荒波もございました。昭和三十八年ごろには不況にさらされ、工事を受注しても、その工事が赤字で、重機類を半分ほど減らしたこともありました。それと昭和四十七、八年のオイルショックの時も、それは苦しい目にあいました。でも、人間というものは苦しい目にあっても、「ピンチがあれば必ずチャンスはある」という気持ちになってやり抜けば、少々の不況など吹き飛ばせるんじゃないかという気がしました。
矢野 何か会長とお話ししておりますと、勇気づけられるというか、やれば何とかなるんじゃないかという気持ちにさせられますね(笑)。
宮本 今日も社内で幹部会議を行いましたが、例えば営業についてでも、「これまで五ヵ所行っていたのであれば、十ヵ所廻りなさい。そして皆さんに可愛がってもらいなさい。それが営業だ、そして最も大事なのは、無事故で立派な仕事を成し遂げること、それが一番の営業に繋がるんだよ。」と話したんです。
矢野 そのお気持ちが隅々にまで伝わると、これからの宮本組もますますの成長があると期待いたしてお
ります。本日はお忙しい中、どうもありがとうございました。